昼間ずっと漫画を描いていて、夕方ジョギングにでかけた
雨の降りそうな曇りだったので夕暮れという空でもなく
ただのグレーがだんだん濃いグレーになっていくかんじの夕方の気候で
そんな天気でも寒くはないくらいの春っぽさは出てきてる

ふと、外の景色の三次元感がすごいなということが頭にうかんだ
ずっと平面の紙に絵をかいていたのの反動か、対比的に見えたのか
景色は、四角い枠もなくぐるりと、無限の解像度と無限の色数で構成される
たいしたもんだと思うと同時に、絵というのはそれに比べて
小さくて簡素なものなのだなということを考える
それはそうだが


そのへんに落ちている石ころが目に入った
景色のなかでは、まったく気にもとめないようなものだが
たとえば印籠とか重箱みたいな、立派でちょうどした箱に収めてみたとしたら
その石は特別に価値のあるものに見えてくるだろう
くぼみや色合いに奥ゆかしさを感じ取れるようになるかもしれない

切り抜いたり、焦点をあてることで、だらだら無限に続くなかから
面白い部分を拾い上げたり、面白さを際立たせることができる
絵に描くというのはそういう作業に近いのかもなと走りながら思った



そのうち思考は少し戻って
無限の色数、という部分について考えていたが
たとえば昆虫やら動物やら、人間とは見えている色が違うという話を聞いたことがある
人間には見えない色を見分ける生き物もいるという

例えば人間の目は紫外線を色として捉えることはできない
虹があるが、可視光線である七色の、内側の端と外側の端に紫と赤があり
そのむこうがわの色のない部分に紫外線、赤外線がそれぞれあるといわれる
あの先も、目の性能によっては色として検知する生き物もあるのかもしれない
それがどうみえるのかはわからん
人間には感じ取れない「A」という色があったとして
青とAを混ぜたような色、というのが存在するのだろう

それはいいとして
おれがジョギング中に見た、無限の色数があるという感覚はそうすると
存在するすべての色から、目にみえない色を抜いた分についてであり
「目に見える分の色」という限られた領域だけを見て、無限だなと感じていたわけだ
ほんの一部分を見て無限、というのもぴんとこないようにも思ったが

たとえば一メートルの区間を無限に細かく切り分けることは理論上は可能だが
現実にはその一メートルの外側にも無数にフィールドが広がっているし
そういう意味ではどこにでも無限を見ることは可能か、というふうに考えなおす

それとも人間に感知できない色は色ではないのだろうかな
色という定義の外側なのかもしれない
紫外線や赤外線は無色透明ということでいいのだろうか
するとまあ個人差あるだろうから、人によって色の定義は微妙に異なるかもな
だれかにとっては色だが、だれかにとっては色ではない
虹の両端の部分はそういう領域なのか


そんなことを考えながら走るうち、いつもの道が工事で通行止めになっており
しかたなく普段通らない急坂のほうを通ることになった
急坂は走って上り切ることができず、景色を見ながらだらだら歩いて上った