ジョギング用に使っている靴の紐が擦り切れてしまい
紐をしめることができなくなってしまった

多分五年くらい履いてるのかな
よく擦れるところに少し穴が空いてきていたり
靴底も減りつつあり、なにか致命的な壊れ方をしたら
もう買い換える頃合いかもしれんな、と思いながら履き続け
さてジョギングに出かけるか、という玄関先での出来事だった


まいったな、と思ったが
靴紐の切れたところを避け、ぎりぎりの長さの紐をなんとか留めることで
ひとっ走りは耐えることができそうだったので、それで走った


ずたぼろの紐でも、問題なく走ることができた

買い替え時かもとすら思ったのに、致命傷を負っても
問題なく活躍する靴に乗っかって走っていると
妙な頼もしさというか
これは紐さえ替えれば、まったく問題ないな
という気持ちにどんどんなってきたのだった
家に着く頃には、買い換える気なんてすっかり失せてしまった

それが昨日のことである

今日は、ちょっと晴れ間が出たので、紐を替えるついでに
靴を洗ってやることにした
雨上がりの未舗装路を走ったりしたので、泥汚れがそこそこあったため
そのまま紐だけ替えるのもな、という気になったのだった

ちょうどいい紐が家にあったので、夜乾いた靴に搭載してみた
いい具合に収まった。
めでたく機能と清潔を取り戻し、くたびれながらもしゃっきりとした靴を見ていると
買い換えようかなどと思ってたのが申し訳ないような気にすらなってくる
もうしばらく世話になろう



愛着が発生したことがわかった
単なる道具として履き、傷んだら買い換える消耗品として捉えていた靴が
自分の体の一部、というと大げさだが、そこに一歩近づくような
心のなかでランクアップしたような感じがした
運動靴なんて、洗ったりはすれども性質上不可逆に消耗していくものであるから
今までそういう意識が沸きづらかったのかもしれないけど

自分の中の、靴の存在感が昨日と今日で違う
愛着というのは、少しずつ積み重なって発生するものかと思ってたけど
発生の瞬間が明確にわかるときもあるんだな


しかしこうなってくると、また別の意味で
致命的にぶっ壊れる前に新しい靴を買うべきなのではないか
とも思えてくる