たとえばプレイステーションに出てくるゲームキャラクターが
プレーステーションの外にある出来事について言及することはできない
それは超えられない壁であると思える

ソフトウェアはシステムの外側には原理的に出ていけない


「このゲームを遊んでいるきみ」とゲームの登場人物が話しかけてきたとしても
それはキャラクターがその世界から我々に話しかけるわけではない
それは、ゲームのプログラマーがゲームを作っているから
そういう発言が構造的に成り立つ
つまりプログラマーがゲームを介してプレイヤーに語りかけているもので
架空の人物の人格が架空の外に及ぶことはできん

小説の登場人物が「あっいまページめくりましたね」と言ったとしても
それは著者による記述なのであって登場人物の生の発言として
受け取ることはできないという




むかしプレイステーションのソフトで
容量がでかくて、ディスクが何分割にもなっているものがあった
ゲームがすすんでいくと、次のディスクに取り替えて下さい、という
メッセージがでて、ディスク替えると話がすすんでいくんだが
あの、世界を取り扱っている 感じ、ディスク取り替える重みがな





これが現実だとどうかということになる
たとえばこの現実がすべてプログラムされたゲームだとして
この「現実」というゲームを、機械の外から操作しているプレイヤーがいたとして
そのプレイヤーについて我々が議論したとしますと

やはり世界の外に話が及ぶことはない
運命そのものを取り扱うことはできない

いるか、いないかということすら議論できない
憶測すら意味をなさないという
運命というものがあるかないかという議論ができないということで
不毛な議論のありかというものに考えが及ぶけど