「ヤウチャンバック」という古代魚がいる
つるっとした外見の魚と、体の前半分が鎧か兜のようにごつごつした
やつの二種類が登場した

そのどちらかがヤウチャンバックなのか
はたまた両方ともヤウチャンバックなのかはわからなかった

とても寒かったので、石油ファンヒーターを出した
三菱電機製の古い機種である
一年ぶりの使用なので、どうかなと思ったが
案の定何度かエラー表示が出たものの、しばらくすると安定して動くようになった
エラーのあと軽く掃除したのがよかったのかもしれない


その際、エラーの表記について調べようと思ってインターネットで検索した
今どき、電化製品なんかは不具合をインターネットで検索すると情報が出る
これこれこうすると解決できますよ、という即解決Q&A情報もあれば
公式ホームページで説明書がダウンロードできることも多くある
便利になっている
今回は古い機種だが、同社の後継機種の説明書でも見れば
エラーの対処法くらいはわかるだろうと思っていたのだが



予想に反し、それらしい情報は得られなかった
それもそのはず
三菱電機はとうの昔に石油ファンヒーター事業から撤退しているという

更にいえば東芝、日立、ナショナル(パナソニック)、シャープといった
三菱以外の大手メーカーもことごとく石油ヒーター関係から撤退したらしい
それは2000年代初頭から中頃にかけてのことなので
十年も前には皆市場から姿を消していたということになる


全然知らなかった
石油ファンヒーターの事故がいくつかあったとか、他の暖房器具の性能が向上したとか
オール電化の風潮に押されたとか、要因はいろいろあったのだろうが
いつしか暖房器具の筆頭ではなくなっていたようだ

もちろん今でも石油ファンヒーターを作っているメーカーはある
手広くやっている大手メーカーがいなくなったことで、暖房器具をメインで作っている
メーカーのシェアはむしろ大きくなっているという

しかし毎年世話になっていた三菱ファンヒーターを取り巻く世の中の環境が
こうも変わっていたとは、そうですか、という気持ちになる



検索で、説明書の代わりに見つかったのは
古くなったファンヒーターを分解してメンテナンスし、好調さを取り戻すという
作業の顛末を写真付きで解説したページだった
火をつかう装置だから素人が分解してメンテナンスするのはどうかという向きもあるだろうが
いつのまにか旧時代の遺物になっている感のある我が家のファンヒーターも
手入れをして末永く使わなければならないなという気持ちが強まる

浜辺でコモドオオトカゲを保持している
こいつを二日ほど確保しておかないといけない

全長60センチくらいのトカゲで、全身が黄色っぽい
籠だの紐だのの道具もないので、手でおさえて捕まえているが
思ったよりおとなしいことと、捕まえたままでいるのがつかれたので
手を離してみたら、ぱっと逃げ出してしまった

右手に浜辺に注ぐ小川があり、 トカゲはその川に逃げ込み
川に繁茂した水草の下に潜り込んでいった

水草の下をライトで照らせば見つかるかなとも思ったが
どこかから陸に上がって逃げられては手のうちようがない
だんだん、再度捕まえるのは無理なのではないかという気持ちになる






「ジネリ」とは、人気のある女性を指す言葉である
「マドンナ」とほぼ同義語

たまに思い出す磁石のこと
何年か前、友人とどこか東京23区内だったと思うが
駄菓子やおもちゃの問屋のようなところに立ち寄ったことがあった

おもちゃはゴム鉄砲やベーゴマなど、昔ながらのやつが多かった
そんな中に、磁石のおもちゃがあった


長さ四センチくらいの、細長いラグビーボールのような形をした
黒い金属光沢がある磁石が、二つ一組になったものだ
そんなもんでどうやって遊ぶんだろうと思ったら、店番をしていた男性店員が
こうやるんだよ、といって両手に一粒ずつ持った磁石を宙に放り上げた

空中で磁石は引っ張り合い、ジュイーンというような音を立てながら落ちてくる
その音を楽しむおもちゃなのだという
磁力によって磁石同士が引き合い、ぶつかり合った反動で少し離れる、という
動きを空中で高速で繰り返すことによって出ている音のようだ

それだけのものだが、見た目からは想像できぬ妙な音色に意表をつかれ
へえーと思った。友人は買っていた。二百円くらいだったと思う
おれは迷ったがすぐに飽きてしまいそうな気がしてきたので買わなかった


それのことを時々思い出す
思い出して、ふと放り投げて音を出したい気持ちに少しなる

買っておけばよかっただろうか
しかし買っていたらすぐに飽きてしまってこうして思い出すこともなかったろうか
おもちゃにしては異様にシンプルで、なんだか夢じみた話にも思える




シンプルなおもちゃの記憶でいうと、モーラーというのもあった
オレンジ色のやわらかい毛虫のようなもので、テグスでうまいこと操作すると
まるで生きている小動物のように操作できるという
おもちゃと手品の間のようなものだ

顔もとぼけた味わいがあってかわいいもので、遊んだこともあるが
今思えば、こういうものは自分で操作してもさほど面白いものではなく
うまい人のパフォーマンスを見るのが面白いものである
ちょっといじくったものの、上手く操作できるはずもなく飽きてしまったように思う
これはすこし悲しさを伴って思い出される

いまでもモーラーはたまに売られているのを見かける

今日は今年はじめてのジョギングに出かけた
箱根駅伝の余韻があったため、頭の中で架空の監督が
「1キロ3分ペースだ」
と言っていたが考えてみるとそれは大変な速度だ
算出するといつもせいぜい1キロを6分程度の速度で走っているようなので
昨日箱根でみなさんはこの倍の速度で走っていたわけだ
頭が下がる

それでもいつものコースをいつもより少し早いスピードで走ったようで
箱根駅伝気分が多少影響したようです
キンキンに冷たい空気でもなく、走りやすかった




考えていたこと
ハマグリという貝があるが
これは漢字で書くと「蛤」だが、語源を想像すると
「浜栗」、浜の栗なのではないかなという気がする
浜辺で栗拾いをするように、栗の中身のようなサイズの食べれる貝を採る
◯◯にある◯◯に似た奴、という名付けのパターンはよくある
おかひじきとかウミウシなど

それが一般化して、ハマグリも一文字で表せる漢字があったほうが
よいのではということになり、「蛤」の字があてられたのではないだろうか
勝手な想像だが


それでいくと、「潔い」という言葉がある
いさぎよい、これもなんとなく漢字二文字であったものが後年になって
一文字の漢字で当てることになった気配が漂っている気がする

「いさぎ」が「よい」、つまり思い切りが良いというような意味合いなのではなかろうか
しかし、「いさぎ」という言葉が存在するのかは謎だ
もしあるとすると「思い切り」とか「未練がましくない」というような意味だと思うが
単体ではまったく聞いたことない

あるいはこうも考えられる
「いさ」が「清い」
立つ鳥後を濁さずという言葉があるが、そういうかんじで
去り際にじたばたしない、きっぱりしている、という意味ではこれも大いにありうる
「潔」が「清」と組み合わさって「清潔」となるのも説得力が増すような気がする
しかし「いさ」とはなんだろうか


インターネットで調べたところによると、どうやら後者が正解のようで
「いさ」は「甚(いと、いた)」いとおかしの「いと」やいたく感動するの「いた」のなまり
あるいは「勇」であるという説もあったりするらしい
それに「清い」が組み合わさるものだそうだ

つまり「いさぎが悪い」という用法は誤りのようです
なるほどね
「いさが汚い」なら正しいのかもしれんね。伝わらないとは思うが


あとは「キツツキ」も漢字では「啄木鳥」と書くが
これも本来のところは「木突」が正しいのではないかと思うのだが
どうだかな
この手のはいくらでも挙がるような気がしてくる

俗語として使われていた言葉が市民権を得て、いつしかそれ専用の漢字があてられて
辞書に載るような言葉になっていった、その名残り、言葉の地層がある
偶然地層に見えるだけの言葉もあるかもしれないが、それを含めても面白い

ハマグリは実際のところどうなのだろうか
調べるのは簡単だが調べずにあれこれ思い描いておくのも楽しいかもしれない

あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします


年始は箱根駅伝のテレビを見て初詣に行くという
例年通りの過ごし方だった
箱根駅伝は、もともとは特にスポーツ観戦として興味があったわけではなく
毎年同じコースを走っていく、この時期に必ず通り過ぎる風物詩としての良さがあり
正月が来たことを噛みしめることができるから毎年楽しみに見ているものだが
年々、箱根駅伝そのものの面白さが目覚めていく感じがある
自分のなかに駅伝をスポーツ観戦として楽しむ回路が生まれてきてるようで
それはそれで喜ばしいことだと思う


いつもの神社に初詣に行った
大抵参拝だけしてお守り類は買わないのだが、今年は交通安全ステッカーを買った
でかでかとした蛍光色のやつなので貼り場所を選ぶデザインだが
あまり気にせず実用本位でばんと貼ってしまうのがいいように思われる

甘酒はだいたいいつも買う
去年のお札や破魔矢を焼いているでかい焚き火があるので、それにあたりながら
甘酒を飲むと初詣の気分が出る
一年ごとにやってくる味わい深い節目がやってきた、という気分だな





年始に考えていたこと

①水とお湯
お湯のことは英語で「hot water」と言うというのは知っていたはずだが
そのことをふと考えて、おやっと思った

「お湯」という意味の英単語がありそうに思うが、そうではなく「温かい水」である
あれ、お湯は英語でhot waterだけども単語ひとつでも表せそうな気がするぞと
思ってうんうん考えていたがないようです

考えているうちに、同じ「水」なのに温度が少し変わっただけで呼び方がまるっきり
変わってしまうほうがむしろ独特な感覚なのではないかという気になってくる
日本語では、英語に比べて水とお湯にくっきり線引きがあるように捉えられているのかな
歴史や国民性、価値観になにか独自の眼差しがあるのだろうか




②写メ
携帯電話で写真を撮ることや、撮った写真のことを「写メ」と言ったりするが
これはそもそも「写メール」という携帯電話で写真を撮ってメールで送ることが
できるサービスの名称の略で、そこから転じて
携帯電話で撮った写真自体をも指すようになっていったのだと思ったが

ふとそのことを確認したくなり、グーグル検索で調べてみたら
「写メール」の読み仮名に「しゃめーる」と並んで「うつしめーる」というものがあった
それは初めて聞きました
今でこそだれでも使う、だれにでも伝わるような俗語として定着しているが
もしかしたら普及する前は読み方が並列して存在していたのかもしれない

しゃメール?なんだそれ、ああ、うつしメールのことかい
なんていうやり取りがあったかもわからん

もし、うつしメールの方が俗称として定着していたとしたら
携帯電話で撮影された画像を「うつしメ」と呼んだりしてたのだろうか
まったくピンとこないが、ありえた話なのだろうかと考えると奇妙な気持ちになる



今年も残すところわずかなので日記を書いておく
わずかなのでこの日記をインターネットを使って閲覧に来た方がこれを見るのは
来年になってからかもしれない

年賀状というのも、ふつう前年のうちに準備して翌年のはじめに相手に届く
翌年に届くであろう言葉を前年のうちに書いておくという意味ではこの日記も
年賀状と似たような性質があるかもしれないなと思った
別に誰に宛てるものでもない点と、だれに届くのか知る由もない点においては
随分違うものだが


今日久しぶりにふつうの缶コーヒーを飲んだ
ジョージアのエメラルドマウンテンブレンドというやつです
家では年がら年中コーヒーを淹れて飲んでいるので
なかなか外に出た際に缶ドリンクを選択するとなった場合
家では飲まないようなものをチョイスすることが多い気がするが
今日はなんとなく缶コーヒーをえらんだ

お店や道に人や車がいっぱいいた
全員2016年の大晦日を過ごしている。それぞれ過ごしてんなという気持ちになる
全員あと数時間したら来年になる時間のなかで店に入ったり道に居たりする
それぞれそわそわしてるんだろうか


今年もよい一年だった
来年もよい年になるといいと思います
良いお年を


今年を振り返ってみるか、と思って近い時期から順に出来事を振り返っていたら
一週間前に水族館に行ったことを日記に書くのを忘れてた
日記書くの忘れてばかりだ
とても良かったのでそれのことを振り返って書いておく




油壺マリンパークという水族館が、神奈川県の三浦にある
ここには、かの有名な珍鮫「メガマウス」の剥製があるということで
かねてから行きたいと思っていたのだが、この度行くことが出来た

先日従兄弟の家に行ったことは日記に書いたが、その日は泊めてもらって
翌日車でどこかへ連れて行ってくれるというので、頼んで油壺にしてもらったのだった


油壺マリンパークへは、かつて幼少期に一度行ったことがあるらしいが
水族館の記憶は全く無い。ただ「油壺に行った」という言葉だけはのちのち聞いて
そうかそんな水族館に行ったのか、という情報だけがある

油の壺で水族館だ
タンカーから漏れ出した重油にまみれたタコ壺から赤茶色のミズダコが
ぐにゃりとはみ出ているような、虹色の油膜の浮いた水面越しの映像が頭に浮かぶ
そんな水族館に行ったのだ、という謎の記憶が捏造されているような気もする
実際のところは別にそういう展示はなかったはずだが


水族館は、入館料が1700円だった
参考までに高知の足摺海洋館は入館料700円で、年間パスポートが千円であるから
足摺海洋館に一回入って、それから年間パス買うのと同じ値段か、と思うと
ずいぶん高級な水族館だなという気がしたが、よく考えるとメガマウスの剥製が
展示してあるという時点でただの水族館ではないので、そうかと思った

園内に入ってみると、広い屋外空間にアシカ、イルカ、ペンギン、かわうそコーナーほか
神奈川県に生息する珍しい淡水生物なんかを集結させた小屋の展示などもあり
非常に充実しておりじっくり見ようと思えばいくらでも時間かかる空間だった

メインの建物の入口に、サメをじかに触れるコーナーがあった
生簀にネコザメとドチザメが入れてあり、そっと触ることができる
サメ肌。紙やすりのような手触りだが、魚のぷよぷよした質感がすぐ奥にあり
かつてないさわり心地。サメはおとなしく触らせてくれる
すでに1700円の元を取った気分になる

入ってすぐのところに、チョウザメの水槽がありチョウザメの仲間がうじゃうじゃいた
チョウザメの顔がとても可愛いということがわかった


お目当てのメガマウスの剥製は、とても立派なものだった
じっくりじっくり見た
傍で剥製ができるまでの記録映像が上映されており、それも非常に面白かった
世界で37番目の発見例であるという

売店で、メガマウスのぬいぐるみが売っていた
大小二種類あったので、両方買った


とても良かった。また何度でも見に行きたい

古い雑誌をぱらぱら見たりしている
1990年代の東京の景色の写真が掲載されていて
こんなだったかと不思議な気分になる

その不思議さについて
たんに一昔前の東京の景色なら、取り上げている媒体はたくさんある
現代の媒体によって取り上げられているそれらは
現代からなつかしい時代を振り返るという趣旨のものになる
過去の記録という扱われ方をされている
当然のことだが

しかし古い雑誌というのは、当時における「いま」を切り取っているものだ
新鮮なものの新鮮さを、新鮮だぞという目線で捉えて取り上げている
フレッシュな眼差しがそのまま封じ込められているようで
遅れて聞こえてくるやまびこのような
出てくるものは古いものに違いないのだが
確かに過去のある時に「いま」だったのだという気分が強まる
位相がずれているような、不思議な気分になる

一時期、You Tubeで昔の天気予報の動画を見るのが好きだったのを思い出した
そのことは過去にもこの日記に書いたことあるかもしれんが
過去のある時点での未来予報の映像なわけで
その天気が実際のものだったかどうかはわからないし
それが当たっていようが外れていようが、今となってはあまり価値のない情報だが
昔から見た未来の天気を当てようとする映像の、昔の最新情報が
架空の過去の話をしているようで
妙におもしろく思えたのだった


雑誌のコーナーで、東京に新しく生まれた景色を取り上げたものがあった
多摩ニュータウン地区の野山だったであろう土地がすぱっと切り開かれ造成され
立派なマンションが建った最新の異質な景観の写真が掲載されていた
きっと今では周囲の野山も残らずニュータウンになって
できたてホヤホヤのタイルも風雨で馴染んで程よい感じになっているのだろうが
紙面の「いま」と想像上の今の「いま」が頭のなかでぶれてくるような心地がする
そういう不思議さを味わって楽しんでる
いま古いものを見て記録するのとはまた違う良さがある




もういよいよ年末
鮮魚を売るスーパーに行ったが、数の子がたくさん売っていた
伊達巻やかまぼこも目立つように展開されていて
クリスマス後のこの時期ならではの気配が満ち溢れていて良い

テレビでは今年あったニュースをおさらいしているような番組がやっていた
今年の前半の出来事なんて、もう頭の中で遠ざかっていたようで
過去の情報の味わいがありそれはまたそれで時間感覚のぶれを感じた




それで思い出しましたが、楽園Web増刊にて漫画が公開されております
今月18日分です。告知したつもりでいましたがうっかりしてました
無料ですのでぜひ見てみてください。

行き方:下記URLを押す→WEB増刊へGOと書かれた箇所を押す(中段画面左)→12月18日のところを押す→漫画登場。
 http://www.hakusensha.co.jp/rakuen

郵便受けを見るのに玄関を出たとき、外の空気がやたら美味しく感じて
どうしたことかと思っていたら、その後すぐに雨が降ってきた
冬のわりに暖かい気候であったことと、雨の直前の大気の状態が
合わさることで生まれた美味い空気だったようだ

何か、ずいぶん昔にこの空気の味を味わった覚えがある
その懐かしい気配も、良さに加味されているような気がする
それがいつなのかは全く覚えていないが


「いつだか味わった空気の味だ」という感覚は時々ある

空気の味、ということになるとわりとぼんやりしている感覚だが
単純に嗅いだことのある匂いということであればもう少しはっきりと
懐かしさや由来を思い出せるように思う

小さい子供の頃、行ったことのあるスーパーマーケットで
「マツサカ」というスーパーだったが、店の奥が精肉売り場になっており
その周辺の匂いが、冷たいのに柔らかいような独特な匂いで今も覚えている
そのスーパーも今はないので、もう味わうことも出来ない

建物にはそれぞれ特有の匂いがあったりするが、もう存在しない建物となると
その匂いもまた消えてしまうので残念なことだ
その点、外の空気の味については季節が巡ってくればまた可能性があるので
将来的に今日の空気に似た空気を味わって楽しめるかもしれない



という日記を数日前に書きかけで投稿するのを忘れていたので
今日投稿する

一昨日、十年ぶりくらいに従兄弟の家に行ったのだが
記憶にある従兄弟の家の匂いと違う匂いになっているような気がして
建物はいっしょのはずだが、 様々な要因がこの十年で変化してたのだろうな
人や建物が変わらなくても、変わってしまうこともあるということだ
匂いの記憶というのは鮮やかで強いものだが、流動的なものでもある
なるべく覚えておきたいものだ






お知らせが一点
来年ゴールデンウィークに開催の「資料性博覧会10」
サイトが公開されました。サークル募集も開始しています
夏の予告イベントで発表したラフ絵の完成版のポスター絵が出ています
よかったら見てみてください。
http://mandarake.co.jp/information/event/siryosei_expo/