調整豆乳甘酒味というやつを飲む
驚くほど口にあわない。バンドエイドのような味がする
想像上では合いそうな気がしたのだが何かがおかしい

梨味というのもあり、これはどうかと思ったがそこそこいける
まず梨の風味が強くきて、後味が豆乳というリズムで味が来る
ばらばらに来る。調和して高め合っているかというと微妙に思う





なんでかわからないが部品のことについて時々考えるときがある

なんにしても部品で出来ている。見ただけでなんだかわからない
機械の部品もあるし、足りなければ生きていけない人体の部品もある
膨大な数の部品が集まって、自動車や、人体や、ひいてはこの世界が
できているが、たとえば調整豆乳甘酒味のような商品が作られて
飲み干されて、パックはゴミに燃やされて灰になる
部品として作られて、それが用をなして廃棄されて無くなる
人は死んだら焼かれて骨になって墓に収められるが
いろいろな部品が形を変えながら構成してる状況があるだけで

部品がその形でそこにあったということは
流動的な世の中の出来事のなかでの状態のひとつというだけだが
調整豆乳甘酒飲んだらまずかったというその事実に尊いような気持ちを
不意に持ってしまうときある

道に落ちているごみひとつとっても、誰かがポイ捨てしたから落ちている
誰かが車をぶつけたせいでへこんだガードレールの跡があったり
世界の部品がその状態におかれていることを意味なく噛み締めて
因果関係があるなということを空想してる
そういうものが膨大に繰り広げられ続けてる
それに自分がたまたま出会ったということに巡り合わせのようなものを
感じて急に尊く思えてくる。それがどんなしょぼいことでも

自分が出会った部品についてくらいは、なるべく覚えておきたいなと
思ってるがそれでもどうしても多すぎて不完全になってしまうから呆然とするしかない
折に触れそういうようなことを考えて不毛な気持ちになる
うまく言葉にできない




ミョウガが大量に穫れた
きんぴらでご飯がすすむ。
タダでいっぱいあるときでないと楽しめない贅沢な使い方だ