ふと、大河ドラマの北条時宗のオープニング映像のことを思い出した
調べてみると2001年に放送してたやつだというから14年前になる
大河ドラマのオープニング映像はCGをじゃんじゃん使ったやつが多い
印象にあるが、北条時宗もそれで、全編を通じてCGでやっていたと思う

序盤は馬に乗った侍がどかどかと沢山走っているところや
荒波に船がいるような映像がCGで写実的に描かれているのだが

映像の後半、水墨画のようなタッチで表現された岩山や建物が
平面と立体の中間くらいの表現で描かれる空間をぐんぐん動いていく
その部分がとても印象的で、当時その部分になると注視してた


今日では、絵のような質感を保った3DCGというのはしばしば見る
アニメのように線の輪郭を黒く表現してセル画のような
見た目を持ったCGとか、水墨画が空間の中を動きまわるようなものも
あったり、それほど珍しいものではなくなっていると思うが

なんとなく、当時抱いていたCGのイメージは
CGというのは実写に近づけてなんぼのものだ、といった感じのものだ
恐竜がどれくらいリアルに表現されてるか、水面がどれほど実写に見紛うか
それでまあ、実際には撮影不可能なもの、宇宙だとか恐竜だとかを
なるべく実写に近づけて作られていた傾向にあったと思う



いつのまにか技術が進歩していて、そういう使われ方ではないものが
来たなと思ったことがあった
「三丁目の夕日」という映画があって(何作かあるらしくそのどれかはわからないが)
テレビで見たことがあったのだが、それの一場面で
家族が東京タワーにのぼる場面があり、展望台にいる家族の近くにいたカメラがだんだん
ひいていき、そのまま展望台の窓をすりぬけて展望台を外側の空中から写す構図になる
それで、あれっと思って

紛れも無く実写だと思っていた画面だったが、実際のカメラでは不可能な撮られ方を
していることに気づいた。室内の絵からだんだん室外にカメラが移動して
いつのまにかガラスの外に出て、ガラス越しの映像になってるわけだから
でもそれがとてもナチュラルに自然なこととして撮影されている

どっかでうまいことコンピューターの技術でなんとかしてるのか、というのはわかるが
どっからどこまでがCG処理されているのか、その継ぎ目は全く気が付かなかった
しかしこういうのは手品のたねを見破ろうと頑張るのが野暮なのと同じか、とも思って

CGの技術が縁の下で表現したい画面作りを支えているのだということはわかった
全編を通じて、わからないようにCGで画面を整えている部分も
もしかしたら沢山あったのかもわからない


CGで出来ることの幅が広がっているということなのだろう
技術が向上するにつれてその存在の透明感がどんどん増してくるような感じある
素人にはわからない領域のしごとになっていく
研ぎ澄まされていくもの全般にいえることだが