オリンピックの開会式のテレビを見ていた
8年前、東京でオリンピックやるとなったとき
「7年後といったら随分と先の話だな」と思ったことは
はっきり覚えているが
それを今やってんだと思うとしんみりした気分なる

北京オリンピックとか、シドニーオリンピック、リオオリンピックといった
いつかの夏にやっていたオリンピックについて、地名は思い出せるけど
それがいつの夏で、どのような気分でそれを見ていたか
あるいは見ていなかったか
べつに競技に関心があるわけでもないし
なんの記憶にも紐付けられてないので、ぱっと思い出すことができない

今回の東京のは、多少思い出すことができそうだな
 
 
7年後といったら随分と先だ、と思ったやつが今やってる
随分先の未来にいま来ているんだ、という、ぼんやりとした
取り返しのつかない不可逆な道をやって来たんだということを考える
 
何年も先の未来の、ある出来事を意識する機会なんか
普段あんまりないから、すっとばしてやって来た気分で
心細いような、現実感のないような寂しいようなへんな気分を味わってる
 
 
8年前、7年後の自分がどうしているかなんて想像もしなかった
そのときのことを振り返ってこんな気分になることなんて
想像もしてなかったことだ
 
 
たんに過去を振り返るのとも違う
過去の自分と目が合っているのに
過去の自分は、未来の自分と目があってることなんて思いもしない
そういう寂しさがある