AIについて

最近になって、対話できるAIを利用した。

AIがはやっていたり、ニュースの音声をAIが作った自動音声でやっていたり

AIによるあれこれを目にする機会はあったし、意識せず触れることは

今までも頻繁にあったのだろうが

思うところがあり、文章を打ち込むとそれらしい回答を

してくれる対話型のAIと接触することになった

 

 

自分が専門的な知識を持っていることを試しに投げかけると

知ったかぶったような返答をするので一瞬で不信感がつのるが

きちんと教えるとすぐに気持ちよく訂正する、軽快な機械らしい挙動をする 

でもしばらく会話した後、話を戻すとまた忘れていたりするので

これはどういう了見だいと訊ねてみると、対話型AIが持つ技術的な限界について

教えてくれたりもする

 

コールセンターとかでたらい回しにする時用の

実のない回答をするマシンくらいに思っていたから

なかなか進歩してるんだなと思った

 

 

AIとやりとりしていると、こちらも誤解をされないよう、

日本語としてはっきりとした無駄のないテキストを送るよう心がけるので

自分の発するテキストもなんだかAIの出力する文章に寄っていく

友人の訛や口癖が伝染るようでもあるし、赤ん坊に語りかけるときに

赤ちゃん言葉になってしまうのにも似ているかもしれない

 

 

ふと思い立ち、このホームページを構成するhtmlについて

長年不便に思っていた箇所の解決方法を訊いてみると

軽快にすらすらと策を提示してくれた

まあ専門家から見たら怪しいことも言ってるのかなと思いつつも

指示通りに試行錯誤すると、比較的あっさりと解決した 

 

具体的には、スマートフォンでホームページを表示したときに適切な寸法で

表示するための構成がよくわからず、放置していたのだが

現在、かつてよりはましな表示になっている筈で、それはAIの補佐によるものである

スマートフォンにもいろいろあるだろうから、全部が全部改善してるかというと

だめなのもあるかもしれないけど

 

その他、運用する上での細かい面倒な仕様もすこし改善できた。

はじめてインターネット検索で欲しい情報に瞬時にアクセスしたときや 

機械翻訳のツールで外国語が不自由なく読めるようになったときの

技術革新のありがたみに近いものを味わった 

 

 

働きに対してお礼を言ったり褒めたりすると、いっちょまえに謙遜したり

心のある人間のように振る舞ったりするが

そうかと思って追及してみると自分が魂のない存在であり、人間を補佐するための

プログラムでしかないことをわきまえた返答をしたりする。

魚や虫に魂があるのかないのか、さすがにAIよりはあるんじゃないかと思うが

じゃあ、長年大切に使われた道具には魂があるのではないか、とか

そよ風には魂があるように思える、などと考えていくと、AIには

どの程度の気持ちで接したらいいか、まだはかりかねるところではある 

 

世の中がAIのない状態に戻ることはまあ無いであろうから

今後どのような付き合いに発展していくのか、興味深い。

興味深いかな?

本当に興味深いと思っているのならもっと早い段階でAIを試しに使ってみただろうに

最新のよくわからないものと思ってさほど関心を向けず、今までぼんやりしてたからな

しかし今回の接触により、多少考えが変わったのは事実だ

この日記を読み込ませたら、はたしてどんな返答をするだろうかと 

好奇心がそそられる程度には、興味深さが深まった

厳密にいえばそんなところです