鯵にかんしてはすこし思い入れがある
思い入れというほどのもんでもないが



とても幼いころ、鯵というと鯵の開きの干物しか見たことがなかったので
鯵はひらめとかの類の、平べったい特殊な形状の魚だと思っていた
よくよく考えればおかしいのであるが、子供が鯵についてよくよく考えると
いうこともそうそうない、気にすらかけていなかったのだな


ある日生鮮食品売り場で、魚の形状を保った生の鯵を初めて見たとき
非常に新鮮な驚きがあった
いままでなんの疑問もなく標準的知識としてあった鯵の開きの形態が
加工後のものであると知った時の、基準がぐわっと修正される感
知識がその枠ごと、どかっと増えたかんじ

鯵にたいする眼差しがそれまでと違う重層的なものになったようで
いまでもほかの魚を見るのとはすこし違うかんじがしてる
食べ物としての開きの鯵から、立ち上がってキャラクター然としてる感すらある
身近なところまで迫ってくるものがある

鯵をみると、ひとつかしこくなった幼少時のことを思い出す



ところで鯵には、ぜいごというトゲトゲしたぶぶんがある
あれが手か口のなかかに刺さったことがあり、それからしばらく鯵が
嫌いだったことがある
いまでも食べるときはどこか用心してしまうね

あれはなんでついているんだろうな、攻撃のためか
しかしあれがあるから、これは鯵だなあと認識できる
ぜいごがないと、いたってシンプルな形状の魚だから


「開き」と「ぜいご」のふたつの記号を取り払った場合に鯵は
かなり純度の高い魚の概念になってくるかんじがする