テレビをつけていたら、カメラかなんかのコマーシャルをやっていた
「目で見たそのままを画像にのこす」というような文句とともに
人物にカメラを向けて撮影し、カメラのバックモニターに人物像がうつる
人物の画像を実物そのままにうつしとる様子が描かれていた

カメラでとった画像は、ほんとうに目でみる世界とそのままなのか
という謎がおこる
テレビの画面上では、人物像もそれをうつした画像も同じようにうつるが
テレビにうつってるもんはテレビカメラを通してモニターにうつしたもんだから
そこでいかに同一にうつりますよといわれてもよく考えたら説得力がない

しかしたしかめるのもむずかしい
おれは体感でいえば、デジカメでとれる画像と見える景色というもんは
まったくの別物に見える。写真のうまいへたというのもあるのかもしれんが
実物の景色の印象と、写真でみたのではまるっきりちがうということがよくある
逆に、まるっきり同じと思ったことは一度もない
目で見たそのままをうつせるカメラは、まったく同じ印象を画像に持たせる
ことができるんであろうか?



人の目は、よく考えてみるとどうもいい加減なところがあるように感じる
領域が狭い、注視しているところについては精度を持って見ることができるが
目の端にうつっているものについてはその姿形もたいして認識できない
注視のスポットを動かすことで、景色を理解している

カメラはといえば、ピントの合うあわないはあるとしても
景色のフィールド全体に精度を出すことができる
人間が写真をみるとき、フィールドのどこを見ても実際の景色と同じように
注視し、精度を見て取ることができるが、それは裏をかえせば
目の端にうつる写真の大部分についても、つねに精度が出続けている
だから全域にわたってピントが合った全体像をみたときに、どうも
目で見るよりちゃんとした現実っぽく見えるような気がする

自分の目で見るものより、カメラで撮影された画像のほうがちゃんとしてるように
思ってしまうことがよくある。自分の目でみたものは、時間がたつと忘れていくし
思い出そうとして正確に思い出せるものではない
カメラでとっておけば、いざ忘れても実際の景色のコピーを見て
ああこんなだったと思い出すこともできる、変化も劣化もしない。
すばらしい景色の観光地へ行っても、写真ばかりとっている人をよく見る
目で見るよりたしかなものをあとあとまで残せるようにおもうからそうするだろう

画像は、最も明るい色の白と最も暗い色の黒の間の色で景色を描くが、世の中には
白より明るい色も、黒より暗い色もあるように感じるのだが。
白い絵の具よりまばゆい光、黒い絵の具より深い暗闇がある
それが描けない時点で、写真が現実とまったく同じ景色を描くことは原理的にないきがする
目とカメラのどっちがすぐれているかという話ではなく、根本から別物だということ
印象として似せることはできたとしてもだ
それは思考を言語化するときの感覚にも似てる






目で見てる景色と、映像としてうつされた景色が異なる質のものであるということは
心にとどめておきたい。いかにすばらしい高画質の細胞まで見えるようなカメラが
あらわれたとしても、どんな人間の目よりもすぐれた感度解像度で撮影された
画像だとしても別物だからくらべてはならないことを
自分の目で見ることをおろそかにはできない