「今」というのがどこにあるだろうか、と考えてた
こういうのはキッパリしているようでいい加減なとこある

テキストで「今」などとこのように書いても
「今」と打ち込むにもタイムラグはあるし、「今」と打ち込んだ文章を
ウェブ上にアップロードするまでにも、タイムラグはあるし
アップロードされてから最初の読者がおれのウェブサイトにやってくるまでは
タイムラグがある。それまで「今」はだれにも伝わらず保留されている

電話をしているとき
「今」をお互いに共有しているように感じられるが、あれには音のタイムラグが
多少あり、たとえば歌を同時に歌ったとしても、ずれてうまく同時に歌い合えない
そこには僅かな時間の隔たりがある

厳密に考えれば、音自体にそういう性質がある
秒速340メートルと一般にいわれている。340メートル離れると、「今」という発言
には一秒の隔たりがある

光にもスピードというものがあり、「今」の合図を視認したとしても
そこには合図の出発点から目までの距離を光が駆け抜けるタイムラグがある
身体の反応速度を抜きにしても、「今」を共有できるとは言いがたい
そういう誤差はないものとするおやくそくの世界となる




なにか第三者に「今」を見出すのが公平だ、観察の対象に
「あの枯れ葉が落ちた瞬間が今」だ、とかすれば「今」を共有できる

そういうものだけだ
語ることができないものとはこういうことか、と思う