本を読んでいたら、こうもり傘という単語が出てきた
頭に浮かぶのは、黒い布地の傘のすがたであるが

日常的に、こうもり傘という言い方はしないし
自分のなかのこうもり傘の定義が曖昧なことに気付いた

思えば、例えばテレビ番組か映画かなにかで
「こうもり傘」と明言される傘が出てくるとき
(明言されることは稀に思うがまあそれは置いておいて)
傘が登場し、それを指して「こうもり傘」と呼ばれることはあったとしても
それが厳密にどういうものであるのか
または、どこからがこうもり傘で、どこからがそうでない傘なのか
明らかになったことはなかったように思われた

今回のように、文中に「こうもり傘」という単語が出てきたとき
イメージするのは、それらしく古めかしい、ビロードのような
紳士のスーツのような黒い布地の、骨組みにはさびやすそうな細い鉄が使われて
くたびれた、それでいて上等っぽい成人男性用の傘のような気がする
しかし、気がするだけである
その「気」の部分を丁寧にほぐしていくと
結局のところ、ただの傘以上のことはよくわからないことに気付く

こうもり傘は、どこかミステリアスな雰囲気が漂う言葉だが
その定義の不明瞭さも、それに相まっていようにも思える
 


調べてみると、こうもり傘という名称は和傘に対しての
西洋式の傘のことを指すものであり、べつに黒くなくてもいいらしい
そうなんですか
身の回りの傘はだいたいこうもり傘であるということになる
手持ちの傘を今日からこうもり傘と呼んでもべつにいい
ビニール傘でもいいのだ

雨の日は、道行く人はみんなこうもり傘をさしている
そう考えるとミステリアスなかんじする


こうもり傘の定義が暴かれても、ミステリアスさは損なわれていないことに気付く
それだけ「こうもり傘」という言葉が持つイメージの力が強いということだ
間違いでないとわかっても、自分の傘をこうもり傘と呼ぶのは
覚悟のようなものが要る気がする

逆に、なんでもない雨の日に傘さして歩いているとき
それがこうもり傘であることを思い出すだけで
少し物々しい気持ちになれるかもしれない
力のある単語にはそういうとこある