言葉でものを考えてる場合とそうでない場合とがあるように思える
思い出を思い出すときはどうだろうね、すっと画面場面が浮かぶだろうか
昔住んでいた場所の景色を頭に浮かべるとき
写真のように脳にやきつけている場面を呼び覚ますというよりは
言葉によって場面の要素を数珠繋ぎに図像化しているのではないかと
いう気にもなってくる

言葉というもんはつくづく強力な道具で
一瞬で過ぎ去ってわすれてしまうあれやこれを
ぱっと相対化してつかんで保存できるようにしてくれる
対象を、はいそれですよと言葉で言う
言うことにより、それをそれとして解釈する手がかりになる


しかし、なんとも言いがたいポジティブな気持ちをたとえば「うれしい」と
言ってしまうことで、それを単なる「うれしい」ということにしてしまっている
言葉によってものごとはだいぶそぎ落とされていることも多いようです
そぎ落とすことで、あらゆる言い知れぬもんを扱いやすくしてる
そぎ落とされたものに今一度目を向けたい

直感が一番正しく感じることがあるが、それはたぶんそれで
そぎ落とされたものに強い指向性があったパターンかもしれない
見えない力に左右されてるような心地になるが
それはきっと言葉によって見失った力が左右してきてる