今日は天気がすかっと晴れていたけど涼しくて
なんとなく夏がいつ終わったのかわからないような気がしてたが
完全に夏の残存感が消滅していることを確認した

もう10月だものな
でもついこないだ蝉鳴いてるのどこかで聴いた
さすがにもういないだろう



今日は初めて会ったり話したりする人が二人もいて
そういう日もあるんだな。新鮮で楽しい気持ちになる


日が暮れるとすっと寒いくらいの空気になり
バイクで移動するのは上着を着ないとしんどいくらいにはなった
暑くてエアコンを点けずにはいられなかった二ヶ月くらい前の気温のことを
思い出そうとしてみてもあまり思い出せない

全身に浴びる気温の記憶を全身で思い出そうとするには
現在のすずしい日常を跳ね飛ばすくらい強い想像力が要る
長袖を着て、暖かい布団は良いななんて感じる現在の気温に
浸った状態で灼熱の夏の暑さを思い出すのは難しい
熱い風呂に入りながら冷水に飛び込んだときの感覚を思い出すのは
難しいだろう。意外な難しさに思い至る




思い出したこと
「大きな一年生と小さな二年生」という子供向け読み物がある
まさに小学一年生のときに親戚から贈られた本で、読んでいたのだが
ある場面で、遠くまで来て振り返ると、友人の住んでいる団地が遠ざかって
マッチ箱くらいのサイズに見えました、という言い方をされていた
なんとなく、遠くに来たのだなということがわかる表現だが

今日出かけて景色を見たときに、さてあのビルは何くらいのサイズに見えてるのかなと
思って、駅のロータリーの対岸にある建物はどんなもんだろうかと
手でかざして見てみると、スマートフォンくらいのサイズに見える
でも実際に目の当たりにしても、あの建物はスマートフォンくらいのサイズだなとは
あまり思わないので表現というのは不思議なもんだなと思う

その理屈でいえば、自動車なんかは遠くにいるやつはミニカーのように見えるわけで
そうすると遠ざかっていく車はどんどんミニカーに変わっていくように見える
だんだんミニカーになる車のことを考えたらコミカルな想像になって笑ってしまった
感覚のあり方を変えて見てみると、あるいはそう感じられるのかもしれない





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