今日はジョギングに出かけた
今年はさぼり気味であったため、まだ本調子ではない
だらだら走って、休憩も多くとった

多いときは二日に一回走っていたから
そういうときは頑張らなくともすいすい走れるから
ほどよい運動によって脳がシンプルになり、考え事がはかどったりするが

まだそういう走りではないので、ひいこら走るのに精一杯で
とてもとても考え事をするような余裕はないのだった



ジョギングのコースにしている道の脇の林に、グミの木があった
毎年でかいグミの実がなるので、楽しみにしていた木だったが
最近その林に手入れがなされたらしく、根本からばっさり切られてしまっていた
とてもいい木だったので非常に残念だ
あんないい木を切るとは
しかし山の持ち主からしたらべつに用のある木でもなかったのかもしれない
だれも収穫してる形跡なかったし、邪魔な低木でしかなかったのだろうな
ほかの場所に生えてるの見たことないから、だれかが植えたのかと思ってたが
そうでもないのだろうか


グミの思い出
幼少時に住んでいたアパートの近くで、庭でグミを育てているおばさんがいた
しかしおれはその実がグミという植物の実であることも知らなかったし
食えることも知らなかった

ある日近くで遊んでいると、そのおばさんが
「これはグミといって、食べられるんだよ、採って食べてみてごらん」
と言ったので、食べてみると甘酸っぱくてうまいものだった
近くにへびいちごが生えていたが、へびいちごは食ってもうまいものではないので
同じ赤い実でもまるで違う味に衝撃を受けた

しかしここでおれは勘違いをした
おばさんはその時 試しに食べてご覧と言ったのであって、べつにいつでも勝手に
食っていいという話ではなかったようなのだが、おれは完全にいつでも食ってもいいもの
なのかと思って、通りかかるたびにぶちぶち採ってはむしゃむしゃ食べていたのだが

ある日それが見つかって、おばさんに怒られたのだった
それを知った両親にも怒られたような気がする
おれは前に食べてもいいと言われたのに、騙された という悲しい気持ちになった
今思えば申し訳ないことをしたが、幼稚園児の悪意なき勘違いなので大目に見てほしい
ただ、当時は悪意なき勘違いであることを説明する能力を持ちあわせていなかったので
グミを盗み食いする糞餓鬼としておばさんの記憶に残っているかもしれない


グミというと、それを思い出す
今回無くなったジョギングコースのグミはおばさんのグミよりも木も実も立派なものだったので
それにしても惜しい木を失くしたものだと思う