つぎに見学したのは、脳、情動と音楽にまつわる研究をするところだった

頭の中で音を思い浮かべ、その脳波からコンピューターで音に変換し
出力するというテクノロジーを開発していた
「ド」と頭で念じると、機械が「ド」と演奏してくれるというのである
そんなことができるなら、まるで超能力のようだ

ド以外にも頭にはいろいろ浮かんでくるし、体を動かす筋肉の動きによっても
脳波は変化してしまうので、なかなか正確な変換はむずかしいということだった
やはり音痴よりは、音楽に熟練した人間が操作するほうが当然精度は高く
年取った人より若い人間のほうが、うまいこと操作できる傾向にあるという

いつかは、思い浮かべた音楽をちゃんと演奏してくれたり
思い浮かべた音色声色で音楽を再現できたり作曲したりできるのだろうか
口でしゃべらずに会話することができる日がくるのかもしれない
科学によって超能力が日常のものになっていくのか


念じたものをそのとおりに動かすという科学技術



脳の研究がすすむと、脳の指令を身体を介さず出力できるようになる
脳の電気信号を簡単に取り出して音楽に生成しなおしてしまうといった
テクノロジーを目の当たりにして

身体がハードウェア、脳みそがソフトウェアだと考えますと
ソフトのデータを、人体でしか読み込みできなかったものを
機械で読み取ることがもしできるなら、多くの意味で
さまざまな前提がくるってくるように思われる
空想世界が実体に近づいてくる??
考えがそのままの意味で実体を持つ
空想が即実体に
タイムラグやぶれが消える



ところで、悲しい音楽というものがあるが
それを聴いたとき悲しくなるかといったらそうでもなく、心地よいと感じることの
ほうが大きい。悲しいことを連想して悲しくなることはあるかもしれんけど
音楽の悲しさと感情の悲しさというのは別種のもののようだが
悲しいかんじのもんに触れて、心地よさを感じるというのも妙なはなしだ



つづく