なじみのスーパーが閉店するという情報を得たので見に行った
うちからは少し距離があるが、日頃通りかかることが多い道で馴染みがあった
いまいちぱっとしない感じの店だったので
昨今の外出自粛の影響が決定打となったのかもしれない



店ができたときのことを覚えている
既に近所にスーパーマーケットがある立地に、ある日現れた
オープンしたときから、なんとなく古くさいような
ぱっとしない雰囲気を既にまとっていた。
おばあちゃんちにあるようなお菓子が充実した、ちょっと薄暗い店内
折込チラシも、黄色い紙に赤と黒で刷られた昔ながらのものだった
あまり流行らないだろうと思ったが、不思議と根付き、親しむことになった


この店で昔、ブランド名が入っていない透明なビニール袋に入った
シリアルが売っていて、それが好きだった
直径一センチくらいのドーナツのような形をした焦げ茶色の粒で
うっすらはちみつ味の付いた素朴で軽い味で好きだった
すぐ売らなくなったけど
成分表示にオート麦が使われていたことは覚えている

あととうきびアイスが入荷してた時もあった
あれもしばらくしたら売らなくなってしまったな
うまかったのに

カステラ風蒸しケーキ探しに行ったときは売ってなかった
お客様の声コーナーに入荷するよう書き込もうかと思っていたが
生産終了になるのが早く、それは実行できなかった
もしカステラ風が健在だったら、書き込みが反映され安定入荷し
ばかすか買う未来もあったかもしれない



店内は、いつにもまして閑散としていた
くまなく見て回り、惣菜コーナーでツナマヨおにぎりと
生活雑貨コーナーで昔風のいいパッケージのちり紙が売っていたので
べつにこの店で買ったことのある思い出の品というわけでもなかったけど
こういうものが売ってる店なんだよな、という気持ちになり、買った

閉店するとなって初めて、なんというか慈しむような気分になる
日常的な、なんでもないもんをありがたがったり感動したりし続けながら
生活するのはなかなか難しいことだが
なくなるとなって慌てて大事にしたりする
そういうことはよくあるが


たとえば今日食べたものの記憶は、しばらくすると忘れて
いつ食ったんだかも忘れ、食べたこともいずれ忘れてしまう
この記憶は失うものだということを意識してみると、ちょっと大事にしようかなと思えて
食べたものを写真におさめてみたり、メモしておこうと思ったりもする

買った商品のタグだの、郵便物の送り状だのも、ぱっと捨ててしまうときに
今からこれを失うのだ、ということを考えると、少し悲しい気分になったりするので
いちいちノートに貼ったりしてしまうのだった
きりがないことだけど

きりがないくらい何かを失いながら生活してるということを考える
なんでもかんでも慈しんでたらきりがないので
諦めながらぼーっと全体的に慈しむような気分になるときがある
それはなかなか悪い気分でもない