屋根裏部屋からむかしのベータマックスのビデオテープを複数本見つけた
20年以上前のもので、内容は当時のテレビ番組の録画とかだと思われるが
屋根裏部屋は夏場高温になるため致命的に劣化している可能性がたかい
しかもベータの再生機器が無いため確認もとれずどうしようもないが
おもいがけず昔の情報記録媒体をみつけ妙に心が動いた
それを読み取るすべがないというところ

情報をいくらいい形で保存していようと、それを読むシステムが消えれば
なんか意味ありげな謎の構造体というだけのものとなってしまい不憫です
本なんていっぱいあるけど言語が失われれば、文字なんて謎の模様でしか
ないしな
パソコンでもいま膨大な情報量をちいさい機器に保管できるが
電気が失われたり、読み込む機械が動かせなければ何が保存されているか
なんて想像だにできん、なぞの箱でしかないから意味もなにもない



しかし逆に、人間の科学によってよくわからんもんの情報は解明される
化石から大昔の情報を解き明かす手がかりを見つけることができるし
生物の中のミクロのなかに遺伝子を見つけ、そこに記述された情報を解明し
生き物のりくつを情報として取り扱う能力を得ているわけである




情報というもんはその情報を解読できる者がいなければ情報たり得ない
この世にパソコンというものがなければ、お手元のUSBメモリーはただの
金属と樹脂のなんかよくわからん部品としかおもわれないだろう
おもわれないし、情報を取り出すことはかなわない
そういう意味では書物からデジタルへどんどん進歩する情報記録の形態は
不明瞭になりシステムに依存するところが多くなっていってる

便利になる反面、、、、というところは少なからずあるとかんじている
受け手がいないと成立しない以上、普遍的な形態というのはないようにも
おもえるが、デジタル以降の情報のありかたというのは興味深いところです


しかし遺伝子というのは記録手段として大したものなんだとおもう
莫大な生命体としての構造情報が生物の身体に内臓され、脈々と受け継がれる
子孫を残すことでハードの劣化を防ぎ、それに伴い環境に沿うバージョンアップを
進化として自然にやってのけるという
比較するのもおかしな話だがデジタルと見比べるとまだまだ人間の情報
テクノロジーは発展途上も途上、自然のつくりだした記録媒体に到底かなわない