パースのことをときどき考える
画面の真ん中の一点に向かって、直線が集まる
八の字の線の間が道で、両脇に並木なり建物なりがある
遠くなるにしたがって次第に小さく、近くのものは次第に大きくなる


そうすると、手前のものは近ければ近いほど際限なくでかくなる気がするが
よく考えてみると、 近くのものは無限にでかいとも限らない
適当なところで、でかくなるのをやめている
それは、自分の大きさ、眼球の大きさが決まっているせいのような気がする

ためしに手のひらを限界まで自分の目に近づけて、眼球にくっつけると痛いので
ぎりぎりまでにしとくが、距離がゼロに限りなく近くなったとしても
無限に巨大に感じるかというとそうでもなさそうに見える
眼球の、光をキャッチする黒目の部分に対しての手のひらのでかさの比以上には
どうも感じられないようだ

また、遠いものがより遠ざかるときの小さくなり方というのは緩やかなものだ
自分の目の前から一メートル遠ざかる、二メートル遠ざかるときと同じように
百一メートルからもう一メートル遠ざかって百二メートルになったときに
同じように小さくなって見えるかというとそうではないように
同じ速さで去っていくものの小さくなりかたは遠くなるほど穏やかになる



世界地図のかき方のことを思い出す
メルカトル図法やモルワイデ図法など、立体物を平面にしたときに
必ず歪みが生じるため、用途や特性によって、いくつかのかき方を使い分けるという
関係あるようなないような話だが

三次元の空間を絵に描こうとするときにも、どこかで歪みが生じているのか
それを自分がどういう図法で絵に描いているのかを考える
より正しくあろうとしている。空間の歪みの落ち着きどころを探してる