最近さぼりがちだった夢の記録をまた少しずつつけるようになってきた
そのきっかけは、ちょっと鮮明に覚えてたものをメモした程度のことだったが
 
不思議なもので、夢は記録をつけるようになると
日に日に鮮明に、分量も多く覚えていられるようになる
昨日よりもよりはっきりとした夢を覚えているということになるので
ならばせっかくだから、という感じでまた記録を残す
それの積み重ねで、記録の量と質が徐々に向上するので
一度記録をつけはじめると継続されがちになるしくみだ
 
逆に夢見が滞ってくると、記憶能力や記録は徐々に衰えて
その結果習慣が途絶えてしまったりする

夢の記録に義務感が発生してくると
寝てる途中でふと目が覚めたとき、記録をとらなくちゃと思うあまり
起き上がって机でばりばり書き付けるというようなことが起こり
睡眠が途切れて寝不足、調子が狂ったりといった
悪影響が出たりもするので、まあまあいい加減に取り組むのがよい


近頃見る夢はあまり起伏のない、生活のなかの記憶と感情の断片を
連想で継ぎ合わせたような地味な夢が多い
 
夢で見た場所のことを考える
基本的には見覚えのある場所で構成されているが、実際のその場所と
ぜんぜん関係ない場所として登場したりして
見覚えと夢の場所の位置情報が一致しないということがよくある
通学路として出てきた道が、よくよく思い返すと旅先の道端の景色だったり
寝てるときと起きてるときで、なにか脳の中の優先順位が違ってるような
しかしまるっきりのデタラメではなく、情報をつなぎ合わせる法則性の
違いのような、何らかの理屈がある気がする
どういう理屈かはわからない
夢の中で考えたらわかるのかもしれない




大掃除の一環で、過去に旅先で集めたパンフレットを
日付と場所ごとに纏めて製本する作業をしてる
最近のものはこの方法でちょくちょく纏めて保存していたが
古いものは封筒に入れただけになっていたのだった
掃除をしていると、そういう封筒がぼんぼん発掘されてくる
 
 
とっくに有効期限の切れた遠い観光地の施設の割引券であったり
今となってはどうやっても手に入らないという意味では貴重な
それでいて無意味な
どれも過去の自分がある日ある場所で拾い集めたものだという
「かけがえのないゴミ」とでも言ったらいいのか
へんな価値が出ていてひとつひとつじっくり見たくなってしまう

しかし見ていたらきりがないので、大きさや形態、大まかな時間軸で並べ直して
ホチキスやタコ糸や糊を使って、冊子のかたちに組み立てる
ばらばらだとどうしようもないものが、不格好でも本の形に集合させると
整列によって磁力が発生し、なぞの一貫性が出るような気がする
封筒に入れてしまっておくよりは、格段に見返しやすくなるし
無数の断片だったものが、半日かかって一冊の本として棚におさまる
ものの総量は変わらないのに、非常に片付いた感が出てうれしくなる

しかしパンフレットが入った封筒はまだ山ほどある
えらい道のりの作業に手を付けてしまったが、ぼちぼちやっていきたい
 
 
 
しかしこうして考えると、残す記録の取捨選択について考えてしまう
これらパンフレットは、当時何かの気まぐれでとっておいた結果残ったものだが
今この瞬間だって、記録を残そうと思えばいろいろ残せるのだ
この文章もそうだが
窓の外を写真に撮ってもいいし、閲覧したホームページをプリントアウトして
保存することだってできる。
 
身の回りのあらゆるものを手軽に記録して残すことが
できるテクノロジーのなかで、何をあきらめるかということを常に突きつけられている
そういう面での諦めは悪い方だという自認があり、特に取捨選択の捨の方について
やりきれない気持ちがあるが、向き合わなければならない