顆粒の梅昆布茶が残り少なくなってきたので
砕けて粉末になったものの割合が増えてきた
残りかすで作った梅昆布茶を飲んでみたら
「海の味がする」と思った
海水を舐めたときの味のような気もするし
海辺を歩いているとき
打ち上げた海水が乾いて濃くなった海の匂いのような。
高知の海の磯の光景がぱっと脳内に浮かんだ
塩味だからかな、と思ったが、よく考えたら
昆布は海のものだし、考えてみれば当たり前な気もする
昆布ではないと思うけど、高知の海辺にも海藻は打ち上がっていたし
味の記憶が接続されても不思議ではない
などと考えていたら「海の味」という感覚が薄れてきて
いつもの梅昆布茶の味に感じられてきた
正体に理屈で近づいたことで
不思議なひらめきのような味わいはぼやけてしまった
そういうこともあるか
行方不明の看板の思い出について
ふと思い出したことだが
時期は曖昧で、少なくとも10年以上は前のことだと思う
場所もぼんやりしてて、東北地方であったと思うんだが
片側一車線の舗装路で、山を越えるような比較的標高が
高く、人家の少ないようなエリアだった気がする
その道端に、「○○ちゃんを探しています」というような
行方不明の子供の情報を求める大きな看板があった
貼り紙ではなく、道路脇に立てられてるインプラントの
看板みたいな、高さ2メートルくらいあるしっかりしたやつだった
それが、道沿いに何箇所かあって
3回くらい繰り返し見たような気がする
しかし、その記憶がものすごく朧気だ
実際にこの目で見たんだったか自信がない
そういう場所を紹介するテレビで見たのだった気もするし
そういう夢を見ただけだったような気すらしてくる
しばし考えていたら芋づる式に思い出したが
前回、その看板のことを思い出したのがたぶん数年前のことで
気になってめぼしいエリアをグーグルストリートビューで
見てみたが見当たらなかった、ということがあった。
今はめぼしい場所なんてまったく見当もつかないから
その時より更に記憶が薄れていってるのだろう
しかし、当時は実体験だった確証をある程度持って調べたということだ
そうだったのかあ
記憶というのは薄れてしまうもんだな
この件を次に思い出すのはいつになるだろう
この文章を書くことによって記憶の具合に変化が出る筈だから
ただ単に薄れていくのとは違う、違った形に記憶が強固になるかもしれない
新情報が出てこない限り、信憑性のない記憶に
なっていくことは間違いないだろうが
この文章をインターネット上にのこしておくことによって
件の看板をうすらぼんやりと覚えていて、なんとか記憶を頼りに
検索して、ここにたどり着く人がもしかしているかもしれないので
思い出せる範囲で書き残しておくことにした
無いとも限らない
夢ではなかったかもしれないと思えるくらいの情報にはなってるだろうか