残り少なかったびわの果実は全て動物にやられた
今年は私の口に入る分はなかったな
正味のところべつに果実目的で植えているわけではなく
たんに昔から大事にしている家族の一員という気持ちであるので
隣人であるところの在来生物の糧になるのならまあ悪くないのかと
考えることもできるが普通に腹立たしくはあるよな
ポポーは完全に果実目的で植えているから
ポポーが成長してそいつを奪われたらたまったもんじゃない
将来的にはびわだけの話ではなくなる可能性がある
動物に対し、この地に住むにあたっての掟を明確にする意味でも
来年はなんかしら対策を考えよう
本をよく買うので
それはもう前に読んでるのを読み終わる前に買うので
おまけに新しい方を読み始めてしまったりするから
読みかけで放置してしまい、隅々まで完読しない本というのが出てくる
本屋のブックカバーがかかった状態で、なおかつ読みかけで
そのまま本棚に挿してしまっていたりすると、背表紙が目に入っても
タイトルがわからないから、どれつづきを読んでみようかななどと
いう気紛れが起きにくくなり、そのまま遠ざかっていってしまうのだ
ふとそのことに思い至り、机の目の前にある本棚をみてみると
中身がなんだったか思い出せない、カバーのかかった本があるのだった
なんだっけなあと思って手に取ると、半分くらいまで読んだ旅行に関する本だった
夕食後にそれの続きを気紛れに読んだ
食後でねむくなりながら、うとうと読んでいると
意識がテキストから離れ、書いてないことを読み取ってしまうときがある
漢字一文字からイメージが拡張していったり
目が滑ってまったく別の行に書いてある単語を拾って組み立てたり
まったくの空想で続きの文章を脳内ででっち上げてしまったり
ふと我に返って見ると、ぜんぜん違う文章の手触りが頭に残っている
それが楽しいのもあって、寝る前とか食後とか
眠気漂うタイミングでばかり読書してしまう
読書の楽しさとは本質的に別物なのであるが…
こういう体験は、都度本に直接書き込むかたちで記録しておくと
面白いのではないかと思わなくもないが
本に書き込みをするのは好きではないのでやらない
好きではないが、試みとしては楽しいだろうな
久しぶりに味噌かつを食べた
とんかつという食べ物自体が好物なので
味噌かつも好きなものだが、出会いの第一印象はあまり良くなかった
その昔、夢庵というファミレスに行ったとき
和食のレストランなので、とんかつが食べたいなと思っていたが
メニューには何故か味噌かつしかなかった
まだ味噌かつを食べたことがなかった頃のことである
好物であるが故に、食べ慣れない味付けのたれがかかっているのを
好意的に受け取れないということはある
見た目も茶色いたれで似ているけど、味の方向性は異なる
その時は結局最後まで違和感が拭えなかったのだ
そういうわけで、出会いはあまりいいものにはならなかったのだけど
その後も大根おろしの乗ったとんかつを食べてみたり
まずは塩で食べてみる、なんていう気取ったやつとか
逆に普通のかつ丼に対してのソースかつ丼というものを知るなど
経験値の蓄積により、とんかつに対する多面的な視座を獲得した
不思議なもので、あれ以来一度か二度程しか味噌かつ食べる機会はなかった筈だが
いつのまにか味噌かつを相対的に捉えられるようになり
苦手意識なんてものはさっぱり無くなっていたのだった
というわけで今回久々に食べた味噌かつも美味しかった
味噌だれもとんかつもうまいものだから、本来当たり前にうまいのだ
かつては、 ソースと辛子で食べる一般的とんかつを愛する気持ちが
今よりも強くあったのだろう
その是非は別として、そういう気持ちで一般とんかつをまた食べたいという気持ちもある
意固地は考えものだが、「これでなくちゃ」という感覚もあったっていい
今となっては意識的に気持ちを作っていく必要があるが
次の機会にはそのことを思い出してみるようにする