友人が釣りに行くというので見物に行った
前にもその友人の釣りを見物させて貰うという名目で
全く縁もゆかりも無い川原に出かけたことがあったが
調べたらそれは2016年のことだった
そんなに経ちますか
 
今回はまた別な河川敷だった 
事前に地図で指定されていた地点へ向かうと 
程よく周囲が草に覆われて、 釣り人が滞在する範囲だけ
草が踏まれて低くなっており、半個室のようになった区画があった
釣り人たちの繰り返しの利用で自然と出来上がった空間なのだろう
先に着いていた友人は釣具を展開し陣取っていた 

河川敷からは川を渡る鉄橋が見え、電車が通過するのが見えた
過去にその橋を電車で渡ったことはあったので
その時のことを思い返してみた 
車窓から見た川原はどんなだったかな、ぼんやりとしか覚えてないが
その川原にこんなスペースがあって、将来的にやってくることになるなんて
まあ当然夢にも思わなかった筈だ
当時ぼけっと見過ごしていた背景としての場所に、何の因果かいま到達した
不思議な満足感がある 
友人が小さい椅子を用意してくれていたので
そういう川原に腰を下ろした 
 
 
コンビニで買ってきた食べ物をちびちび食べながら水面を見た
餌をつけた糸を川に入れておいて、魚がかかったら竿につけた鈴が
鳴って知らせるというシステムの釣り竿が2本設置されていた 
ぜんぜん釣れる気配はなかったけど
淡い期待だけがゆったり流れる水と時間に垂れ下がっていて
ときどき電車と鳥が去っていく 
それは非常に贅沢な時間であり、すっかり気に入ってしまった 
 
 
かつて背景としてスルーした景色のなかで、ただ見てれば良いなにかを
ぼーっと眺めながら座り心地のいい椅子に座るのはかなりいいものだった 
一方でちょっと世捨て人じみているというか
俗世に戻れなくなりそうな怪しい魅了の力でもあるように思えて
これに耽溺するのは危険ではないかという直感がなぜか働いた
冷静に考えたらべつにそんなこたないんだけどな

持ち運びが容易な折りたたみ椅子さえあればいろんな場所で簡単に出来る
こういうのをチェアリングというらしいですね 
強力な気分転換になるので、節度を持ってうまく取り入れてみたい
 


結局魚は釣れず、夕飯に自分で鉄板で焼くタイプのお好み焼き屋で
お好み焼きや肉などを焼いて食べて帰った
火で食べ物を焼いて食べるというのもこれまた根源的な魅力がある
キャンプが趣味として人気あるのも今日はなんとなくわかる