実がなる、というときに使う「なる」について
漢字で書くと「生る」であるが、いまいちぴんとこない
もっと適切な漢字があったのに思い出せないような
更にいえば、 意味合いとしては生えるだから、まあ「生る」でいいか。というような
あとから「そういうことにした」当て字のようにも思える
漢字というシステムの中の、詰めの甘さのようなものを感じてしまう
実際のところはわからないし、由緒ある使い方なのかもしれないが。
ついでにもうひとつ思い出した
「地面」をひらがなで書くと「じめん」だが
「地」は「ち」であるから、それが濁った表現であるとするならば
「ぢめん」とするのが正しいのではないかと
数年に一度くらい思い出しては、そのたびに妙だなと考えてしまう
これは屁理屈だろうか
今日は、大掃除というには小掃除、掃除ですらないかもしれないけど
どうしても部屋の収納に限界がきたので、とってあったものを捨てた
長年使っていて、壊れたでかい石油ストーブ。
以前部屋の断熱がしっかりしていない、広い部屋で使用していたもので
寒い冬にはだいぶ世話になり、長らく冬の定番アイテムだったものだが
壊れてしまい、また小さいファンヒーターで済むようにもなったため
修理することもなく(修理対応期限も切れていたかもしれない)
かといって風物詩を捨てるにしのびなく、押し入れの奥に入れ込んであった
何年くらいしまってあったっけね
この度、保管が必要な書類箱を置くスペースがどうしても必要になり
先送りにしていた処分をしぶしぶ断行するに至った
悲しいが、どうにもならない純然たる不用品でもあるから止むを得ない。
ストーブの外装には、注意書きや型番なんかが書かれたステッカーが
いくつか貼ってあったから、ドライヤーであたためながら綺麗に剥がし
ノートに貼りなおした。最後に写真も撮った。
ストーブがあった場所に掃除機をかけ、書類の箱をきっちり収めた
人生には別れはつきものなのである
「さよならだけが人生だ」 といった言葉もあるが
縁あって自分のもとへやってきて、時間を共にした品々との別れに際し
そこにどう折り合いをつけるか、それだけが人生であるという
確かにそう思えてしまうくらい、ものを捨てるのはつらい
でも、このくらいつらくあるべきだとも思う
また、そうであるからこそ
デジタルデータのような、軽薄な存在に救われるということもある
こうやって日記を書くことで、物理的な別れは電子情報になる
壊れたストーブは日記に姿を変え、インターネット空間に漂うことになった
大掃除というのは到底困難な大事業なのである