部屋のコンセントが混乱しているのが気になっていた
機器が多いため、どうしてもたこ足にせざるを得ないところだが
整理したところ、 許せるかんじのたこ足になった
許せるとは。
こんがらがってプラグが大量にささっている状態というのは管理が
行き届いていないように見え、そこに不穏な気配がただよってくるが
整理し、プラグさす側になんの機器のプラグなのかを書いたラベルを貼り
あんまり大きいエネルギーを使う機器が近くに重ならないように配置し直し
様子がわかるように片付けることで、管理下にあるように設える
そうすると安心感出て、すなわち許せる
しかしコンセントから電気のとれる機器の多いこと
なんでも差し込めば同じようにエネルギーをとれるのだからすごい
全部電気のちからで駆動してると思うと。
たまにエアーコンプレッサーを使うが
まあエアーコンプレッサー自体も電気で動いているわけだが
モーターのちからで空気を圧縮し、その圧力を動力として工具を動かしたりできる
インパクトレンチなりグラインダーなり
空気の排出の勢いで機構を回転させ、強い力を出す
これが空気の力で動作してんだな、と思うと不思議な気持ちになる
コンプレッサーはタンクがついていたり駆動音がでかかったりするので
ここにエネルギーが溜まっていて、それを使っているという確かな感覚がある
それにくらべ
電気はプラグを差し込むだけなので、エネルギーを得てる感覚に乏しい
コンセントさして携帯電話を充電する、ということにしたって
エネルギーのインプットもアウトプットもいまいちピンとこない
満充電の携帯電話に電気エネルギーがみちあふれているという状態も
実感としては薄い
たこ足配線に不安になっていることが唯一実感として残っているようで
こんがらがった配線が電気エネルギーが複雑に機器に流れ込んでいることを示してる
火災事故につながる危険性の気配にはエネルギーの所在感覚がある
そのうち電気コードなんて技術の進歩でいらなくなるかもしれない
あらゆる機器は単体で動き、中にエネルギーを蓄えているそぶりも見せず
そうすると、電気で動いているかどうかはあまり問題でなくなる
電気で動いていようがガスで動いていようが、空気圧だろうが
スイッチを入れて必要な効果が得られるということ以外が隠れていけば
なんで動いてるのかたいした実感もなく、関係ないことになる
昔はコンセントをひとつひとつつないでエネルギーを機械に供給してたんだな、などと
思いをはせることもあるかもしれん
考え始めると、木を燃やして熱エネルギーを得るにしたって
なんで木材を高温にすると赤い炎が上がって熱い火を得ることができるのか
そこには不思議さがある。もちろん科学的に証明はできたとしても
木が燃えてエネルギーを得ている、というところに、行動と目的の外にある仕組みに
ミステリアスさはあるように思える
わかろうがわかるまいが
べつに知る必要もない良し悪しというはなしではないのかな
とはいえ配線が片付いているにこしたことはない