気が急いているときほど日記を書かなくなる傾向があるが
日記を書くことで一日の出来事、頭の中が整理され、脳の能率が上がるのでは
ないかとも思えるので、詳細に日記を書くことにする


午後散歩に出た
ジョギングでなら頻繁に走る近所の道だが、そういうでもなく
用もなくぶらぶらすることは案外少ないので、見慣れているつもりだった
道の景色を見ていくと、細部がアップデートされていく

新しいガードレールを固定するのに使われているボルトの頭に
なにかのマークが刻まれている
ガードレールのボルトの頭は穴のないボタンのような形で、取っ掛かりがないから
プラスドライバーや六角レンチなんかで表側を押さえられない
あれはどうやって締めているんだろうなとずっと思っていたが
今日遂に調べたところ、ボルトの根元に俵型の出っ張りがあり
ガードレール側の穴も同じ形になっているため、そこが嵌ると
ボルトが回転せず締め込めるという構造のようだ。なるほどと思う


道端の家の軒先に、アルミ缶を切って作った風車をいくつも見かけた
提灯か風鈴屋みたいにずらりと並べて掲げている家が数百メートル圏内に
何軒もあったので、同一人物が発祥で局地的に流行しているのか
それともそこは子供のいる家で、近所の小学校の工作でやったとかかな

比較的新しい作業場のような小さな建物から変な音楽が流れていた


図書館へ行った
その図書館へ行くのは十年以上ぶりだった
その間にかなり大幅な改装がなされていて全く面影がなかった
古い役所のようなひんやりして埃っぽく薄暗かった建物は、木材を多く使った
ナチュラルで肌触りと匂いの良い清潔で小洒落たものになっていた

図書館で、建物や雑草の本をめくっていると、ほどなくして近くの小学校の
下校時間になったのか、小学生がちらほらやってきた
わいわいと話し声が聞こえるようになり、ランドセルの金具や筆箱を机に置く音
足音など、がちゃがちゃしてきた
小学生は一挙手一投足がこんなにもやかましいものだったろうか
しかし久しぶりに味わうやかましさであるとも感じる


人通りの少ない道を歩いていると、道の脇の枯れ草の中にバスの整理券が落ちていた
昨年大晦日のもので、南海バスという路線バスのものだった
インターネットで調べてみたが大阪のバス会社が出てきた
大阪から大晦日にはるばる来た人がたまたま落とした券を拾ったのだろうか
なんとなく持ち帰ったので手元にある。妙なかんじする

温かいものを飲みたいなと思って自販機でコーンポタージュを買った
(コーヒーは家で散々飲んでいるので、ホット飲料はおしることの二択だった)
コーンのつぶが多く、思ったよりしょっぱかった
手で持つとあつあつというかんじだが、口に入れるとそうでもない
同じ自分の体で同じものに触れても、度合いに差がある
熱いものに対して、手より口の方が鈍感にできているのかもしれない
熱々のものに触れる機会は口内のほうが多いだろうから、慣れもあるだろうし
あるいは今は手は冷たい外気で冷え、口は閉じていて体温で維持されているから
その温度差も一因かもしれない。体の部分に応じた温度感覚の違いを味わった
コーンの缶に残留した粒を食べようとしたところ、缶から勢い良く出てきて
喉にすぽっと入って少しむせた。

枯れ木に不思議な形の種の殻のようなものが団子のようにくっついていて
あとで種類を調べようと思って携帯電話のカメラで撮影してみたが
ヒントが少なすぎて簡単には見つからなさそうに思える


急な坂をゆっくりのぼっていると、後ろから男子中学生が
しゃきしゃきと早足で追い越していったので、たいした体力だなと思った
その先の交差点で二人組の作業員が測量をしていた