外出時の体温調節が難しい時期だ
涼しいのは朝方だけだろうと思って薄着で出かけると
案外一日中涼しく、見当が外れたり
なにか羽織って出かけると案外暑くて荷物になったりする
 
風通しのよい羽織りものがあると、日差しを避けることもできて
どちらにころんでも利用価値があるかもしれない
日差しの下で長袖を使って涼しく感じられる、という
方式が確立できれば、よほど寒い時以外それ着とけばいいのだからな
ということを考えていた
 
 
 
昔住んでいた地域に行く用があり、出かけた
用を済ましがてら、馴染みの場所を歩き、その変化を見るなどした
 
前回行ったのは、記録を見ると2018年11月だった
3年半でどのくらい変化があったのか、前回の景観を正確に覚えて
いるわけではないから、住んでいた当時とは言わないまでも
気がついたのはここ十年くらいでの変化だろうと思う

昔からあったであろう塀や建物、新造された構造物
古い建物にあたらしい店の看板がかかっていたり
古かったなぞの大きめの建物が消えて新築戸建て数軒に変わってたり
かつて住んでたアパートはまだ健在だったが、手入れが行き届かず
印象がかなりぼろくなっていたので寂しさがあった
まだまだ消えてもらっては困る、しっかりしてくれと
年老いた者を励ますような気持ちになる
 
 
 
 
写真集を買った
同じ作者の本を一冊持っていて、好きだったのでもう一冊買った
東京の景色を写したもので、何の変哲もないように見えるが
確かに何らかの眼差しがあることがわかる
 
芸術としての写真のことは理屈としてはあんまりわからないが
写真単体で見たとき、そうか、いい光景だなと思うくらいだけど
写真集として並べてまとまっていると、わかってくることがある
 
それぞれの写真に共通してる眼差しらしきものが、なにかあるらしいことが
二枚三枚と見ていくにつれて、偶然撮れたもんではどうやらないことが
意図的に制御して眼差しを込めているということが感覚としてわかってきて
それを踏まえたうえで
その眼差しが、自分の好きな質感のものだと
それまで本当に何の変哲もないと思っていたページの写真も、自分なりに良さを
解読できるような気がしてくる
 
自分でも携帯電話のカメラやらで写真をぱちぱち撮ったりするし
高画質のものを、撮影したいものに向ければ手軽に撮影できるものなのに
そこに眼差しを込める技術が存在するらしい
 
そんな不確かなものを測る物差しが、いったいどんな姿をしてるのか
さっぱりぴんとこないにもかかわらず
でも確かにあるということが、見てるとわかるから
それが面白くて