幼稚園児の頃のことだが
親の運転する車に乗って親戚の家へ行く道中
いつも通った中原街道に「大関」の看板があった
 
ワンカップ酒とかを出している酒造メーカーであるが 
当時はそれが酒関係であることは知らず
なにか別の意味の看板だと勘違いしていた
 
ある時、あれは「おおぜき」と読む、お酒の看板だよと
教えられ、それまで持っていたイメージが覆って
「そうなんだ」と思った記憶があるのだが
 
 
それまで何の看板だと勘違いしていたのか、今はさっぱり思い出せない
白地に力強い筆文字で、漢字が2つ書いてある
それを見て、子供心に何かを連想したんだったと思うが
それまでのイメージが覆った、という手触りだけが残っている 
 
「大関」という単語を読み取れたわけではなかった筈だから
相撲関係の看板と勘違いした、という線は薄いように思う
しかしスポーツニュースの画面で表示される勘亭流の選手名を
目にしたことはあっただろうから、力強い書体の漢字の文字列として
混同する可能性はゼロではない
 
和風、昔風であるということは感じ取ったような気はする
時代劇のタイトルロゴに似たようなのがあったとしたら
もしかしたらごっちゃになったかもな
そっちのほうがありえそう
 
 
書いていて思い出した
大関の看板に差し掛かる少し手前に、これまた大関に少し似た感じの
漢字の看板があったんだった
しかし、「大関」のほうが「何か」のイメージにより近く
「似たような看板を通り過ぎると、本物の看板がすぐに見えてくる」と
いったような、車窓のリズムとして認識していた
楷書で漢字表記の居酒屋の看板とかだったのかな
こちらに関しては「あった」ということ以外はほとんど覚えてない
 
 
 
 
こんなとりとめもないような記憶が何かの拍子に頭に浮かんで 
しばらく脳内に滞留することがある
 
誰かと共有することのできない、個人的記憶の手触りを
誰でも読むことのできるインターネットの日記に書き出してみたって
まあ無意味ではあるのだが
脳内でしっとりしていたものをを天日干しするような
妙な爽快感はある